くだらないの中に 暮らしのブログ

通勤時間のひまつぶしに◎

罰当たり覚悟!!父の葬式で破格の請求書を出してきたお坊さんと葬儀屋さんに、メンタル0の私たちが立ち向かった話!”お布施はお気持ちで”とは!!

私が大学4年生の夏。大好きな父が亡くなり、その次の日にタイトルにある通りの出来事が起こり、私たち家族は悲しい思いをしました。

 

もう過ぎたことですし、世の中には色々なビジネスがあり、私たち家族が煮え切れない思いをしたこの出来事も、もしかしたら“よくあること“だったのかもしれません。

それでも、一つ違う世界のこととなると無知だった私たち家族にとっては、ただ“父は亡くなった”という悲しさでいっぱいいっぱいだったため、その裏で動いているお金に関してどうしたら良いのか分からず、とても不快で不安な気持ちに追い込まれました。

 

だからこそ、今後だれかが大切な人を失ったときに、同じような不快な思いにならずに済むように、

その為に前もって様々な選択肢があることに気付くような、

そんなきっかけになってくれたら私の気持ちも少し楽になるので、軽い気持ちで読んでもらえたら有り難いです。

 

 

まず、起きた出来事をまとめると

 

  • お坊さんからお布施の額を「80万」請求された。しかも通夜後は、様々な勝手な理由を付けられて、プラス20万請求され合計「100万」請求されたこと。

上記の事実だけで、これを読んでいる方が“高い”と思うか“そのくらいでは?”と思う方もいるとは思います。

 

参考の為に初めに言いますが、父は教員でした。外では明るく、どこへ行っても地域の方々に好かれ、家では無口で不器用でしたが、贅沢もせず、家族の為に一生懸命働いていた私にとっては宇宙一大好きなお父さんです。

 

あと3年で定年を迎えるところで癌を患い亡くなりました。公務員ですので、それ以外に特に会社を経営している訳でもありませんし、それどころか私と妹はまだ学生でしたのでまだまだお金がかかります。

少なくともそんなわたしたち家族にとっては、その額にとても驚きました。

 

 

その額を提示された流れとしては、

お通夜のとき、葬儀屋から

「明日、直接お坊さんにお渡しするお布施を用意してください。」

と前もって言われたため、

こういう場合の“お気持ち”というのがいくらくらいが適当なのか分からなかった母が、仲介をしてくださっていた葬儀屋の方に尋ねたところ

私たち家族の状況であれば

「20万程、多くて30万程用意していれば、安心だと思います。」と聞いていました。

 

しかし、次の日お坊さんから“80万”という金額を提示され

その時の精神状態は不安定であって“お坊さんの言うことは間違いがあるはずがない”という先入観で疑うこともなく母は、“金額に驚く”という思考にも至らず

“そんな大金すぐに用意できないから、両親に相談して早く準備しなきゃ”という思いで、母の両親が援助してくれました。

 

既に高齢の母の両親も、田舎育ちの昔の人で普段から“お坊さん”等を尊敬して生きてきた古き良きを大事にしている人なので、もちろん“そんな金額おかしい!!”となるはずがありません。

 

まず、そんなことが起きていることも知らず迎えた“お葬式”

これがまたショックなことが起きました。

 

通夜に来たお坊さんが勝手にお弟子さんを連れてきて、最初から最後までなぜか二人でお経を読みました。

しかもそのお弟子さんが特に、私たち素人でも分るほど、とっても下手で・・・!!

噛んでまともに読むこともできない上に、声もか細い。

それだけでなく、お経を読んでいるときに鳴らしていた鈴?のようなものを落としたり、読み終え、立ち上がり、前へ進もうとしたときに躓いたりと、散々で、本当に不快でした。

 

それなのに、葬式後お坊さんから

二人で読んだから。(←勝手に連れてきたのに)

・特別な戒名を付けたので(←勝手に付けて事後報告なのに)

・参列者が思っていたより多かったので(←少なからず職業柄沢山の方が来て下さるし、だからと言って父が愛されていた証を全部お金で換算された悲しい気分)

 

 

結論から言うと、母はその額を払いました。

具体的な金額は言っていませんが、「お布施が高かった」と落ち込んでいた母に、「でも保険もおりるでしょ」と心無い言葉を投げる遠い親戚の人もいましたし、

その後、葬儀屋から請求された額もわたしたち一般家庭には理解できない項目や金額、

そもそもお仕事である以上、わたしがこれまで述べているような"良心"とか"情"がどうこうなんて言うようなものではないことは重々承知しておりますが、

それでも、

「??このフォトフレーム、いかにもサービスみたいな言い方で“いりますか?”とおっしゃていたのに○万もするんですか!?」というもの等も多くありました。

お坊さんの一軒もあったため、冷静になった当時20代前半の(もともと鬼のように怖い性格)姉が私が沸々と抱えていた不信感や怒りを代わりに言葉にしてくれました。

 

ここでやっと葬儀屋さんと直接対決!

 

葬儀屋の方と話をして、曖昧に書かれていたところなどは明細をしっかりと出してもらい、いらないものは引いてもらいました。(お布施の衝撃でそれ以外の出来事は全て軽く見えてしまっていたが。)

 

ついでにお布施の件に対しても「無知でもう支払ってしまった母も悪いですが、ネットや本などで後で調べましたが、うちの家庭状況に対して明らかにおかしい金額じゃないですか?」と聞いても

 

“葬儀屋とお坊さんは今回全く関係ない(宗教の関係で)とのことで、自分たちも驚いた“

と知らんぷりを貫かれましたので、私たちは結局この思いを誰にぶつければ良かったのか分からず、落ち込む母のことも責めてしまいました。

 

この一連の出来事。“弱いものいじめ”されている気分で、とても悲しかったです。

この“お坊さん”や“葬儀屋さん”の実際のところ“悪気”もなにもないのだと思います。

なので全く同じ対応をして、私たちのように誰かを“不快”にさせることなく“お仕事”をされているだけなのかもしれません。

それでも家族の大黒柱だった父を失って残された家族は、ただでさえ判断力・思考力が落ちています。

しかも“初めての葬式”なので、知識もなく、何が正解なのか全く分かりませんでした。

 

“大切なひとの死”は多分、突然やってくることの方が多いのではないでしょうか。

 

そのためにも、私たちはいざとなったときに自分たちを守れる“知識”や“準備”が必要です。

今はどこからでも簡単に、“情報”を得ることが出来ます。今日の帰り道、本屋さんをのぞいてみるのも良いでしょう。ネットで探してみるのも良いと思います。あなたに合った方法で、“知識”を味方にしてください。

 

 

今回お話しした“悲しかった”エピソードが、今後誰かの“悲しい”出来事から守るきっかけに、少しでもなれたら良いな、と思います。

 

 

最後まで読んで下さりありがとうございました。