くだらないの中に 暮らしのブログ

通勤時間のひまつぶしに◎

おとうさん

今週のお題「おとうさん」

 

 

おとうさんが癌でなくなって早4年が経とうとしている。

 

 

わたしの大好きな、世界一のおとうさん。

 

 

おとうさんとの幸せな思い出を振り返ってみると、数えきれない程あるのに、その当時の私はその幸せに気づいていなかったり自覚がなかったりすることが多すぎて、どれだけのおとうさんからの愛情を一杯に受けて育ててもらったのか、後から思い知ることが何度もある。

 

 

 

 

おとうさんは私が生まれる前から教員をしていて、私が小学校に上がるときにはそこの教頭先生としておとうさんがいた。

 

 

3年に一度の転校も、友達や地域の人たちと離れるのが嫌で嫌で堪らなくて、部屋に籠って泣いた日もあったけれど、引っ越した先の学校でもまたおとうさんと一緒だと思うと、不安が少し和らいだ。

 

 

 

学校では、おとうさんて呼んだらだめだよ

 

と、1年生のときに両親に教わったので、学校で会うと上手く反応できないので、出来るだけ会わないように避けた。

 

でも、たまに担任の先生が不在の時、おとうさんが代わりに"1日担任"をする日もあり、

おとうさんは先生をしている時間は、自ら"体を張ってでも盛り上げて笑いを取る 面白い教頭先生"だったので、そのときなんかすごくすごく恥ずかしくて嫌なときもあった。

 

 

でもどんなに仕事が大変でも、地域や学校に尽くして報われなくても、どんなときも、おとうさんの心の底には

"家族のため"  というのが全てなんだ

と言うことを、亡くなる直前にやっと知り、理解することができた。

 

 

 

そのとき、わたしは大学生。

おとうさんの職場=わたしの学校

ではなくなった頃から、一緒に過ごせる時間が急に減り、

おとうさんとのコミニケーションの取り方が分からなくなった。

 

また、男兄弟で育ったおとうさん自身も、娘3人との接し方には悩んだことも沢山あったと思う。

 

 

それなのに、3人の中でも1番素直じゃなくて、すぐ理屈っぽいこと並べて反抗的で、感謝の気持ちを伝えることもできないわたしは、誰がどう見ても1番可愛げないし、心配や迷惑ばかりかけてたね。

 

 

ごめんね。

 

 

 

 

亡くなった後、おとうさんの仕事用カバンのポケットから、

10年以上前の父の日にあげた

きたない字で一言ぐらいしか書いていないお手紙と、

『かた たたき けん』

が出てきた。

 

ずっと大事に持っててくれてたの知らなかった。

 

 

 

 

小学生の頃から 『社会』が苦手で中々覚えられないわたしのために、

自作で歴史の年表を作って家の至る所に貼ってくれた。

 

 

喘息で入院したときは、

毎朝

『 おはよう。体調どうかな?ご飯沢山たべてね。 ここで問題です。ペルー来航はいつでしょう?』

なんて締めは必ずクイズにして問題をメールで送ってきて 。

答え分からない時や面倒くさいときなんか、メール無視してごめんね。(笑)

一生懸命苦手な携帯でメール送ってくれたんだよね。

 

 

 

 

わたしの不器用なところ、もしかしたらおとうさん似なのかな。

 

 

 

全く伝えられなかったけれど、おとうさんのこと大好きだよ。

 

 

わたしのおとうさんでいてくれてありがとう。

 

 

 

ここに書ききれないほど、おとうさんとのエピソードを振り返れたから、今年は良い父の日としよう。

 

 

 

これからもずっと、わたしの宇宙でたった1人おとうさん。

 

ありがとう 。